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西国札所巡り第16番 清水寺へ [札所巡り]

札所巡りの旅3日目は8時に出発。

第31番長命寺へと向かいました。長命寺の階段は808段。前回友人と来た時は、階段を上ったのですが今回は、全員がタクシーに分乗して境内のすぐ下の所まで。タクシーを降りてさらに90段程上る。靄がかかって幽玄な趣だが、足元は濡れているので気をつけて上っていきました。  9時頃、もう降りてくる人もいました。

靄がかかっていなければ境内から琵琶湖がよく見えるはず・・。前にも来てるので建物も撮りませんでした。

タクシーで駐車場に戻って再びバス移動。32番観音正寺へ。ここも途中の観光案内所にバスを止めタクシーで細い道を上っていきました。

ここは山門がなく大きな仁王像が寺を守っています。境内からは広々とした蒲生野が見渡せる。  ↓ お勤めを終わって

本堂は平成5年に火災で焼失し、平成16年に落慶、像高6.3mの白檀で刻まれた千手千眼観世音菩薩座像が祀られています。

( ↓ パンフレットから写させてもらった)

~~~~~~(ここからは前回訪問時の記事の再掲です)~~~~

◎平成22年8月4日(水) (晴)東京8:33発ひかり505号京都11:15着。 ホテルに荷物を預け、

  琵琶湖線 京都発12:00(快速)で能登川へ。駅からタクシーで約15分で観音正寺に到着。

 32番 繖山 観音正寺 千手千眼観世音菩薩  草創は、推古天皇13年(605年)。 聖徳太子が近江を訪れた際に人魚が葦原から現れ前世に殺傷を生業としたことを懺悔し、供養を願った。願いに応じて太子が千手観音を祀ったのが草創とされる。

中世には近江の守護佐々木・六角氏の庇護を受けて隆盛した。明治に彦根城欅御殿を移したという旧本堂は平成5年本尊千手観音もろとも焼失し、現在の本堂は、平成16年に落慶したもの。千手を刻んだ光背を付けた本尊千手千眼観世音菩薩坐像も16年に開眼された。インド産白檀23トンが使われている寄木造り。 光背に彫られた千手のレプリカに顔を近づけると白檀のいい香りがしました。散華を手に観音様にふれてきました。

仁王像、ここから入る。

 IMG_0363仁王像.jpg

 現在、近江八幡市となっているが、ここの境内からは、眼下に東近江の田園が広がり、古は蒲生野と呼ばれたところ、額田王と大海人皇子の歌の舞台となったところです。遠くには、近江富士と呼ばれる美しい形の三上山があり、低い山にかこまれた遠くまで続く緑の風景のなかに古の景色を想像して感激しました。

   ○天智天皇が蒲生野で狩をなさった時に、額田王が作った歌(額田王)

      「あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」 

  ○皇太子の答えの御歌(大海人皇子)

      「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも」

本堂内からのぞんだ蒲生野の風景。右の山が近江富士。その左の平らな山が鏡山。少し手前に柴田勝家の籠城した山。蒲生野を近江富士の方に向かって新幹線の高架が見える。説明をきいているちょうどその時新幹線がとおりぬけて行きました。ここからはみえないが、新幹線に沿うように旧中山道が通っているそうです。

現在の蒲生野の風景

IMG_0369蒲生野全景.jpg

IMG_0364新幹線.jpg

 仁王像のあたりからは、遠くに琵琶湖が光って見えました。

IMG_0375琵琶湖です.jpg

 観音正寺.jpg

 この後 31番 姨綺耶山 長命寺 千手十一面聖観世音菩薩 へ向かいました。

タクシーでの移動ですが、近江富士はどこからでも美しい姿を見せてくれます。これは、西の湖。

昔琵琶湖を干拓した後、残った湖で川で琵琶湖につながっているようです。

IMG_0386西の湖.jpg

  長命寺へは、曲がりくねった山道を行く方法と、急な階段を上る方法とがあります。808段あるそうです。どちらも大変きつい。14:40着。

境内からは琵琶湖が望めます。時折さわやかな風が吹き上げてきました。

IMG_0388長命寺階段.jpg

三重塔とソテツの花

IMG_0393三重の塔.jpg 

IMG_0389長命寺.jpg

 長命寺.jpg

 帰りは、石段を下りてきました。自然石を並べただけの手すりのない急な階段。

カーン、カーンと澄んだ音が頭上に響き、足を止めて周りを見回すと、高い竹の幹と幹がぶつかりあう音でした。

やっと道路に出ることができ、バスの時刻を確認してから、売店でかき氷をいただきました。同行者はうどんをおいしいと言いながら食べていました。

15:53発の市民バス「あかこんバス」にのせてもらいました。

バス停の前は琵琶湖。ウィンドサーフィンをしている人がいました。

IMG_0395港.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



次は本日の最終目的地の清水寺へと向かいます。

西国札所16番 音和山清水寺  宗派;北法相宗 本尊;十一面千手千眼観世音菩薩

朱色の山門と三重の塔が美しかった。

本堂に上ってお勤め。一瞬舞台の上のざわめきが消えたような気がしました。

若葉のみどりが目にしみました。


清水寺はとにかく人が多かった。着物で歩くというツアーがあるのか、外国人男女の着物姿がやたらと多い。が、なんかおかしい。(キモノダケレドキモノデハナイ)。これが日本と思ってもらってはイヤだなという感じがしないでもなかったです。

これで三日目は終了。京都縦貫道を通って、湯の花温泉のホテルへ向かいました。今回の旅は三泊とも温泉。出かける前は一泊くらいは京都市中のホテルでも良いかもと思ってましたが、清水寺の外国人の多さをみてこちらの温泉で良かったと思いました。

そして、この夜、熊本の地震のニュースが流れ大変驚き心配しながら床に着きました。


西国札所巡り 第11番醍醐寺へ [札所巡り]

西国札所 第11 番醍醐寺

   宗派;真言宗醍醐派総本山  本尊;准胝観世音菩薩 

受付を入るとすぐ目についたのが豪華意匠の門。


国宝の五重の塔の横を通って本堂へと向かいます。 


本堂    

本堂に到着しました。醍醐寺の僧侶による読経が続いており、しばらく待ちましたが終わりそうになく、後からやってきた別の巡礼団体の方達も待っていました。般若心経と御詠歌のみお唱えすることになりました。静かに般若心経を唱えながら僧侶の読経と私たちのとが全く違和感なく唱和していると感じました。御詠歌も終わって外に出ようと向きを変えた時、後ろで待っていた白衣姿の人から深々とおじぎしながらありがとうございましたと言われました。ありがたいことでした。

今回の巡礼最初の宝厳寺の観音堂ではローソクを上げようとしていた他の参詣者に少し迷惑をかけてしまったのを、夜の食事の時、住職からさりげなく注意を受けました。良い法楽を行って良い法悦を得られるような、周囲の方にも法悦をお分けできるような良い巡礼にしましょうと言われたことを思いだしました。

帰りに薬師堂にも参詣してからバスに戻りました。

その後、番外元慶寺へと向かいましたが、道が狭いのでバスをおりて小雨の中をしばらく歩くことになりました。

番外の元慶寺 ↓ 境内から山門の方を向いて。雨に洗われて緑が清々しい。

これで2日目は終了、雄琴温泉の旅館「びわこ緑水亭」へ戻りました。


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西国札所  第10 番 三室戸寺へ [札所巡り]

三井寺を後にして西国札所13番 石山寺へ ↓ 大門


石山寺は、その名のとおり全山が一塊の岩・硅灰石(天然記念物)で、秘仏である御本尊は自然の岩盤そのものをを削り整えた台座の上に安置されているそうです。

境内に入ると岩が目に入り、その上の方遠くに鎌倉期の美しい多宝塔が望めます。

お勤めを終えるとすぐバスに向かうことになったので上の方まで行けなかった。団体での行動は自由な時間が場合によって少ないのが難です。

(前回友人と二人で行った時の記録があるので次にそれを引用)

平成22年8月4日からの西国札所巡りの旅の二日目です。

第30番竹生島宝厳寺に行くため、京都駅発8:22の快速(湖西線で)近江今津に向かいました。ところが、琵琶湖汽船今津港に行ってみると波が高く欠航で、竹生島には行けません。仕方ないことなので、近くの「琵琶湖周航の歌資料館」を見てから、戻ることにしました。

近江今津 9:57発 山科で新快速に乗り換え、石山に11:16着

石山駅から京阪バス11:25発約5分ほどで石山寺山門前に着きました。

◎ 第13番 石光山 石山寺 如意輪観世音菩薩 

 石山寺は、天平19年(747年)聖武天皇の勅願により良辨僧正が開創したと伝えられ、本尊は秘仏。京に近い観音霊場として、天皇、貴族、庶民ら多くの参詣者を集めた、いわゆる石山詣で有名なところです。

 本堂(国宝)は平安中期再建の内陣と慶長7年(1602年)淀殿の寄進で増築された舞台作りの外陣からなります。

IMG_0399石山寺.jpg

 寺には石山寺縁起絵巻(重文)が伝わり、石山寺の創建や観音霊験譚の数々、紫式部が参籠して源氏物語を起筆したことなどが描かれていることで本堂源氏の間(花頭窓のところ)に執筆当時を再現しています。

 本堂内陣にはお前立の如意輪観世音菩薩。向かって左の奥に弘法大師作の不動明王がまつられてます。

  石山寺.jpg

この後、京阪石山寺13:13発の電車で、三井寺に行きました。

◎第14番 長等山 園城寺(三井寺) 如意輪観世音菩薩

創建は飛鳥時代。三井寺は通称。 これは仁王門。

IMG_園城寺.jpg

 本堂    御本尊は秘仏、

IMG_0402三井寺本堂.jpg

 近江八景のひとつ、三井の晩鐘・鐘楼

IMG_0401鐘.jpg

 高台にある観音堂。眺望がすばらしい。

IMG_0405観音堂.jpg

 観音堂の前から眺めた琵琶湖。ヨットがたくさん浮かんでいました。

IMG_0403琵琶湖ヨット.jpg

さて、また今回の旅に戻ります。石山寺を後にして西国12番札所岩間山正法寺(通称 岩間寺)へ向かいました。 宗派;真言宗醍醐派  本尊;千手観世音菩薩  

桂の大木や、芭蕉が参詣した折に「古池や蛙飛びこむ水の音」の句を着想したといわれる池がある。このお寺へ行くには公共交通機関(バス)利用だと徒歩50分、ただし、毎月17日のみJR石山駅から直通のバスがでているようです。

バスで山道を上る途中にピンクのツツジ(ヤシオ?)の花がたくさん咲いていた。


次に向かったのは、西国札所十番明星山三室戸寺。宗派;本山修験宗  本尊;千手観世音菩薩

朱色の山門をくぐっていく ↓  トキワマンサクがきれいだった。前回来たときはツツジが満開の時だった。五千坪という広大な庭園は季節ごとにシャクナゲ、あじさい、蓮など見ごたえがあります。

本堂前に整列し、いつものように法螺貝、読経、御詠歌でお勤めをしました。


阿弥陀堂の後ろの方には白い石楠花が綺麗でした。

鐘楼と三重塔 ↓



この後、宇治市内に戻り、宇治橋の近くのレストランで昼食。少し時間があったので草団子を買って食べました(おやつ)。

次は醍醐寺へいきます。


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西国札所巡り 第14番園城寺(三井寺) [札所巡り]

西国札所第14番 長良山園城寺 本尊;如意輪観世音菩薩  

多気山巡礼会の西国33ケ所巡礼の旅2日目は8時にホテル出発、30分ほどで第14番園城寺(通称三井寺)に到着しました。堂々たる仁王門をくぐって、


その先石段を上がって行きます。




参詣者は私達だけ。靴を脱いでお堂に上がりお詣りしてきました。
ここは2回目です。H22年8月に来た時茶店で頂いた冷やしあめが美味しかったこと思い出しました。

今回の旅で御朱印帳に重ね判をもらうことを初めて経験しました(同じ札所巡りの御朱印帳を2冊は持たない)。


御朱印はスタンプではありません。心をこめて納経した証としていただいたものであるから大切にして、最後はたとえば大切な人を送る時に(或いは自分の)柩に入れるものと教わりました。
そうすると観音様がすぐに来てくださる!!

帰りは国宝の金堂(本堂)を左手に見ながら駐車場へ。

園城寺といえば、「三井の晩鐘」。土産物店で買ったと小さい鐘を杖に付けて歩いていた人がいていい音がする。その土産に気づかなかったのが残念でした。


次は13番石山寺へと向かいます。


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西国札所巡り 第30番竹生島宝厳寺 [札所巡り]

4月12日から3泊4日で西国33ケ所巡礼の旅にでました。今回が最終回。

東京8:33発ひかりで米原へ。米原駅からは借り上げバスで長浜市内へ向かい昼食。郷土料理の焼き鯖ソーメンがとてもおいしかった。食後に旧北国街道沿いを散策。

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バスに乗り、長浜港へ向かい船で竹生島へ渡ります。以前に来たときは波が荒れて欠航となり、竹生島へ渡ることが出来なかったので今回は楽しみにしていました。約30分のクルージングの後、竹生島へ到着。

国宝の唐門は工事中のようでした。少々狭く薄暗い観音堂の中でお勤めです。法螺貝にはじまって~読経~御詠歌~法螺貝で終了。

お勤めの後は船の時間まで自由行動。急な階段を上がって本堂(弁天堂)へ。堂々とした朱色の建物が美しい。

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お天気がよく、桜もまだ残っていて、三重の塔前からみる琵琶湖の景色は素晴らしかったです。

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観音堂から舟廊下を通りぬけて都久夫須麻神社へいってみました。湖に面する鳥居に向かい投げたたくさんの瓦が重なりおちていた。

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初日はここだけ。琵琶湖を見ながら雄琴温泉旅館へと向かいました。


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桜町陣屋跡 [真岡市]

高田山専修寺に行く途中、二宮尊徳が26年間在陣した桜町陣屋跡を訪ねました。

↓  隣の二宮尊徳資料館でもらった資料から

二宮金次郎(尊徳)は小田原に生れ、小田原藩家老家の財政復興を成功させた手腕をかわれ、小田原藩大久保家の分家である宇津家の知行地の桜町陣屋に家族とともに移転してきました(1823)。

陣屋内には役所の建物のほかに倉庫や牢屋、役人の家族の住居があったといわれているが、このうち、役所の建物一棟が現在まで残っています。

宇津家が分家した1698年(元禄11)当初の桜町領は石高4000石余(収納米3000俵)戸数は433軒だったといわれているが、金次郎が赴任した時には収納米900俵余、戸数は156軒まで減少し、田畑も荒れ果てていた。金次郎は領内の事情を把握するため毎日領内を隅々まで見て回り、村人の生産意欲を高めるため表彰制度を取り入れたり(農業に熱心な者に鍬や鎌を与えるなど)、無利息の貸付制度を設けたりした。金次郎が復興をはじめてから10年目の1831年(天保2)桜町領の年貢米は1894俵に達することとなった。

1833年(天保4)のこと、宇都宮で茄子を食べた金次郎は初夏だというのに秋茄子の味がすることに驚き、田畑の様子を見て飢饉が起こると予想し、村民に冷害に強いヒエやイモ類を大量に作らせこれに備えました。東北、関東地方を中心に死者10万人以上を出した天保の大飢饉がはじまりますが、桜町からは死者が一人もでませんでした。

桜町領の復興に成功した金次郎は1842年(天保13)幕府に取りたてられ、士分を与えられ、この頃から尊徳と用いるようになりました。


すぐ隣に二宮尊徳資料館と、尊徳を祀った桜町二宮神社があります。



(4月3日) 桜が満開でした。




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高田山専修寺 一光三尊仏御開扉 [神社仏閣]

木県真岡市(旧二宮町)の高田山専修寺(せんじゅじ)に行きました。


目的は、3日間だけ開扉される秘仏の一光三尊仏の拝観。

真宗の祖、親鸞は42歳頃から約20年間関東各地を行脚して専修念仏を広めました。高田に来たのは53歳の時で、ここに長野の善光寺から一光三尊仏を迎え本尊としたのが専修寺です。


↓ 総門の前の大ケヤキ。樹齢800年親鸞上人お手植えといわれる、県の天然記念物

↓ 総門。通常は閉じられている。

専修寺の境内は国指定史跡になっているが親鸞上人建立当時のものは総門だけ。


 

↓ 山門と奥の建物は本堂である如来堂。 総門、山門、本堂が一直線上にある。


↓ 如来堂’本堂)  親鸞が嘉禄2年に自ら建立したとされている。現在のお堂は1744年再建で屋根は銅板棟に菊の御紋がつけられている。


↓ 御影堂  親鸞上人像を安置。今回はこちらで一光三尊仏が公開された。

↓  御影堂からみた鐘楼堂



この左手の方には5間四方寄棟造りの涅槃堂があり、木造金箔塗り3mの大きな涅槃像がある。

専修寺の東方2㌔にある、草庵跡にも寄ってきました。
↓ 専修寺の建設中に親鸞上人が仮住居としていた三谷(みや)草庵。

林に囲まれてすがすがしい佇まいでした。


春の彩り [季節の花]

お彼岸なので実家へ行きました。 

ヒマラヤユキノシタが咲いていました。

クリスマスローズも


土佐ミズキ



こちらは日向ミズキ ↓  

ヒヤシンス

名前が分からない? ↓

水仙も咲き始めた

牡丹の花芽

アケビの芽


いよいよ春ですね。


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朝鮮通信使今市客館跡の碑 [日光市]

 今月始め、日光杉並木ギャラリーで、ある作品展があり同級生達と見に行きました。
 杉並木ギャラリーは東武日光線の今は無人駅となっている上今市の駅舎をを利用していて、友人の絵画を見てから、杉並木の中を歩いて報徳庵へ行きお蕎麦を食べてきましが、




歩きだすとすぐに、大きな石碑に気が付きました。鮮通信使今市客館跡とあります。



 日本語と朝鮮語で書かれており



江戸時代、幕府の要請により、新将軍が就任すると朝鮮国王が善隣友好の使節(朝鮮通信使)を派遣した(15回)。日光には初期の頃3回来ているというようなことが記されています。



 最近読んだ「竹島-もうひとつの日韓関係史ー池田敏著」で江戸時代には現在の竹島を幕府は日本領の外にあると認識していたらしいといっても朝鮮領とは言い切れないと知ったばかりで、かの国との関係を考えるときかつてはこのような友好儀礼が行われていたということも参考になるかなと思います。



 今は水車も休憩中ですが、途中から見えた女峰山が綺麗でした。

 並木杉の中にこんな形のもあってびっくり。

 報徳庵のお蕎麦も美味しかったです。


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地酒で乾杯 [宇都宮]

先日、久しぶりに昔の仲間と会食しました。
場所は宇都宮市のニューみくら。

地元のお酒~惣誉~で乾杯してから
料理を頂きました。

(↓ 栃木県の特産品 ヤシオマス)



(↓桃の甘露煮や百合根の花びら)


お料理とお酒を頂きながら、いがけない人の消息も聞けたりして楽しく過ごしました。

(↓ 栃木和牛) 器も素敵で


(↓ エビチリ) メニューも多様


(↓椎茸 ) 




デザートも美味しかったし、



惣誉も十分に美味しく頂きました。


ご馳走さまでした。次回も楽しみです。


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賀蘇山神社から遊の里、それから鹿沼彫刻屋台の世界へ [鹿沼市]

賀蘇山神社の御朱印

し戻って遊の里で昼食。地元の人達がダッチオーブンでりんごやサトイモを焼いて待っていてくれました。

シイタケが美味しかった!


蕎麦の定食はすべて粟野産にこだわった材料でこんにゃく、セり、フキノトウ等などもうれしい。 




昼食後は、椅子を作るグループと鹿沼彫刻の世界のグループと別れて、私は彫刻ほ方へ。鹿沼彫刻の名匠・黒埼嘉門さんの彫刻屋台の彫刻制作現場の見学にいきました。

小学生の体験教室で行っている作品を実際にのみと槌を持って順番に彫らせてもらう。思うようにはいきませんがおもしろいです。


江戸時代から受け継がれてきた鹿沼彫刻屋台は27基あって、毎年10月の第二土曜、日曜に秋祭りが行われています。

下はパンフレットからの抜粋。「平成8年製作。彫師は、黒埼嘉門。泉町が鹿沼北部に位置することから、鬼板、懸魚に北の守護神「玄武」すなわち、蛇と亀の構図を用いている。欄間、水引などは優美な花鳥を種とした彫物で構成」とあり、これが鹿沼彫刻屋台の最新のものということです。


平成27年3月に「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産の候補として、国の重要無形民俗文化財に指定されている「山・鉾・屋台行事」祭り33団体を一括提案していますが、栃木県では那須烏山の「山あげ祭り」とともに、「鹿沼秋祭り」が候補となっています。

ガイドによると1台の彫刻屋台を組み立てるには彫師の他に各種職人の技が必要ですが、それを一つの地域内で出来る所は3か所だけ、京都、高山と鹿沼だそうです。

この後、木工団地内で一点物の店を見学、帰途につきました。   (木のまちツアーおしまい)


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尾鑿山賀蘇山神社 [神社仏閣]

長閑な里の風景をながめながらバスが賀蘇山神社に着きました。

尾鑿山賀蘇山神社(おざくさんがそやまじんじゃ)は「日本三大実録」の878年9月16日の條に「授下野国賀蘇山神社従五位下」と記載された社。五穀豊穣、産業発展、医薬長寿の守護神として信仰されてきた。

江戸時代後期になると「尾鑿山講」と呼ばれる代参講が盛んになり、関東一円より多くの参詣者を迎えたそうで、 御祭神は天之御中主神・月読命・武甕槌命です。





神楽殿

境内には大正6年まで目通り周囲15m、樹高70mに及ぶ樹齢1800年と言われた巨大な杉があった、その杉のあったところへ向かいます。




大杉切り株。神代杉。明治44年の落雷と大正6年に発生した近隣火災の類焼により枯損したので伐採、現在は地上約2.5mを残すのみ。枝葉が他の木々の笠のように見え、最下層の枝は直径が1mをこえていたとのことです。 ↓ 



別の場所にある遥拝殿にやってきました。 ↓

この奥、険しい山を上ること3㎞、尾鑿山直下に岩屋があり、そこに祀られている御本社を拝むための建物です(大人の健脚でも90分かかり、また女性の入山が禁止されていた時代もあったそう)。


三間四方の宝形造り、総ケヤキ造りで精巧荘厳な彫刻が四囲にある。60年の工期を要して元禄14年(1701)に完成した。日光東照宮を修築した棟梁、彫工達によって寛永18年頃から着手、中には父子二代に渡り造営に当たった者もいたそうで、彫刻のうち最多は龍で40頭、東西と北面を埋めている。四隅を守るのは獅子と像。


これまで「おざくさん」は「石裂山」と思っていましたが、山の頂上の向こう側を石裂山といい、こちら側は尾鑿山というそうで、入粟野の地名には尾鑿しかないのだと初めてしりました。

 

 


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粟野小学校 [鹿沼市]

先日、鹿沼市粟野地区を中心にバスで巡る『木のまち「かぬま」からの贈り物』というツアーに参加しました。

鹿沼市立粟野小学校栃木県マロニエ建築賞受賞)→賀蘇山神社(大切株樹齢1800年)→遊の里直売所で昼食と体験→鹿沼彫刻の世界・匠訪問→木工団地と盛りだくさんの内容を楽しんできました。素晴らしい所ばかりだったので順に紹介しようと思います。

まず、粟野小学校から。粟野小学校は明治8年創立昭和39年に鉄筋コンクリートに建て替え、平成14年8月に地材地建の木造校舎が竣工し、平成15年1月から利用開始しました。

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使用した木材は地元粟野の財産区から丸太で寄付を受け、粟野で製材し建築も地元業者の手になる地産地建の木造建築です。

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1階と2階の間のグレーはスカイラインのイメージで自然との調和をはかる意図があるそうです。

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右側が教室、管理棟で左側が体育館 ↓

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玄関 ↓  柱は四本を束ねて一本の柱にしている。

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竣工後、公的機関等からの視察はありますが、一般人が校舎内に見学に入るのは今回が初めての試みです。授業の邪魔をしないよう児童が教室に入ったあと校舎内に入りました。

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玄関を入ったすぐのホール ↓  木の美しさにハッとしました。床は檜で壁は杉。

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玄関を内側からみたところ ↓

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下駄箱は低く、向こうが透いて見える作り。職員室内から児童の動きが見えるように。

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教室 ↓

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体育館 ↓    正面の壁は手前におろし舞台となる仕組みです。

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トラスト工法の屋根

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2階へと続く階段

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廊下の屋根

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廊下のどこでも好きな所で本が読めるように廊下に書架と腰掛がある。

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図書室

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図書室から眺めると粟野川が流れていてちょうど梅の花が満開でした。

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その隣に見えるのは廃校となった県立粟野高校の元校舎。姪の最初の赴任校だったなぁと思って少々胸が熱くなる。小学校の改築中はこの建物で授業をしていたそうです。廃校になっても役に立てて良かった。

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ここは ↓ 「夢階段」と呼ばれている場所。2階から見下ろすようにして撮っています。子供達が校舎内にはじめて入ったとき最も歓声を上げて喜んだ場所で「夢階段」と呼ぶようになったそうです。読み聞かせ等行事にも利用されているそうで、間の手すりを挟んで左右の階段の高さが違います。

ここに私達ツアーの一行は腰をおろし、4年生による音楽の授業を参観しました。はじめにエーデルワイスを合奏してくれました。素晴らしい音でした。サウンドオブミュージックを思いだしてました。

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学校では、地元の材木を使って地元の人の手によって建てられた素晴らしい校舎で学んでいることを子供達にも実感してもらい誇りを持てるように、将来は地元に戻ってほしいとの願いをもっているようです。ツアーの最後に児童達へのメッセージを木製のカードに一人一人が書いてきました。地元出身という高齢の女性が、その木製のカードを一枚下さいと添乗員に求めて、校長先生にサインを頼んでいたのが微笑ましかったです。

誰かが校長先生に木造校舎になって変わったことがありますかと質問しました。すると喧嘩をしても仲直りまでの時間が以前より短くなったし、喧嘩をすることも以前より少なくなったということでした。木の持つ優しさが子供達の心まで届いているのですね。

この後、賀蘇山神社へと向かいました。


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サン・クリストフォロでランチ [宇都宮]

久しぶりに高校時代の同級生4人でランチに行きました。イタリア料理のサン・クリストフォロで美味しいピッツアとパスタを頂いてきました。



パスタとピッツアは2種類ずつ選びシェアして


デザート、私は桃とヨーグルトのムースを。


コーヒーがついて1人1,250円はお得です。
道路に面してはいても店は敷地奥にあるので、様子がわからなくて入れなかったと言う人がいたので、気になる方は一度どうですか。おすすめです。

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春渡祭(おたりや) [宇都宮]

今日1月15日は宇都宮二荒山神社の春渡祭(おたりや)です。
午後、古いお札と玄関のお飾りなどを持って行ってきました。

↓ 母と一緒に。

無病息災に御利益があるといわれる煙をたくさんあびてきました。

参拝してから新しい火災消除のお札をいただいてきました。

穏やかな一日でした。


初市にいきました [宇都宮]

毎年、2月11日は宇都宮の初市が開催されます。
暖かいうちにと、昼頃出かけてみました。たくさんの人で賑わっていました。



柚子や金柑等の木や福寿草等の鉢物や食べ物の屋台が、上河原通りいっぱいに並んでいます。


だるまや縁起物も沢山並んでいます。




上河原通りの御幸橋のたもとに興禅寺大門跡という碑がたっています。興禅寺まで歩いてみましょう。



興禅寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、神護山興禅寺といいます。開基は宇都宮八代城主貞綱公。史蹟としては浄瑠璃坂の仇討関係等があり、また、境内には和歌山牧水等の歌碑があります。

上に「江戸中期名家老山崎左近」とありますが、この人はこの初市に少々かかわりがあります。
寛永11年(1634年)江戸幕府により参勤交代が制度化された時、各藩は行列の邪魔にならないように街道筋の整備をするように命令されました。奥州街道の宇都宮の市場も移転することになりました。

新しい市場」の割り当てを巡り問題が起きて暮の市の開催が危ぶまれましたが、山崎左近の采配により、常設の市場は他に設けられましたが、年に一度は昔からの場所で市を開くことができるようになり、それが現在迄続いている初市です。

初市は今夜10時まで開催中。寒い中でも賑わっていることでしょう。

 


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ふる里の和食(本の紹介) [宇都宮]

最近、良い本が手元に届きました。
宇都宮伝統料理レシピを、その料理がどのような背景で作られてきたのかという話と共に紹介している本です。



祭りや年中行事にあわせて、料理がどのような意味をもって作られ伝承されてきたかが分かりやすく書かれているのが特色です。

例えば祭りになぜご馳走が作られるのか。。。とか、
年中行事の部では、正月料理とお節料理、二月初午としもつかれ、田植とさなぶりのご馳走、じじん様(初めて聞いた言葉です)と恵比寿講等が書かれていて行事の意義を知ることにより料理にも納得させられます。

また、かんぴょうや、新里ネギ等の特産品を使った料理等もあり、昔農家のお母さん達が作ってくれた懐かしい料理が紹介されています。

料理の下手な私もフライパンで伊達巻を作ってみました。大変下手な出来栄えで著者には申し訳ないです!でも美味しいです。


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日光 輪王寺 [日光市]

1月4日 日光へ行きました。   神橋 ↓

神橋の向かい側、太郎杉の側に鎮座する「深沙王」を拝してから山内に入り、時間があるので歴史散歩道の方へいってみました。


奈良時代末の766年勝道上人によって開山された日光は、神仏習合の関東の一大霊場として信仰され、最初に開かれたのが四本龍寺といいます。現在はその跡に伝説の紫雲石があり、白木の観音堂が建っています。三重の塔なども。。


輪王寺護摩堂 ↓  護摩堂には平安時代に造られた五大明王や江戸初期の十二天、七福神等がまつられています。11時から約1時間護摩供養に出席。


その後、金堂へ参拝。日光山古来の信仰に基づく、金色木彫りの本尊は阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音の三仏ですが、輪王寺金堂は現在平成の大修理中。

7階の展望台まで上がってみました。解体された材木が積まれていた。途中の階では修理中の馬頭観音の現在をみることもできます。


展望台からは日光市内が一望出来ます。男体山がすぐ近くに見えて感激。

昼食は建物が国重要文化財になっているカフェレストラン匠で。

徒歩でJR駅まで戻ってきました。( ↓ JR日光駅)

日光線は明治28年に開通。この駅舎の設計明石虎之助といい、大正天皇の御幸に多く利用されました。また、当時日光へ避暑等に訪れる外国人に利用されたホールは現在は展示スペース等っとして市民に利用されています。



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日光 男体山 [栃木県]

 2015年の日光徳川家康の没後400年で大変賑わいました。


 そして今年2016年は日光開山1250年にあたるということです。

   ( ↓ 今日の男体山・・夕方  )

 日光は江戸時代に東照大権現を祀って聖地とされてきましたが、実はそれより遥か昔の平安の頃  から東の聖地であったわけです。


 山岳信仰の対象である日光男体山に初めて登頂したのは、下野国(現・栃木県)に生まれた勝道上人で、山頂を目指し挑戦すること15年にして目的を達成したという。
 勝道上人の男体山登頂を題材にした立松和平の小説「日光」がありますが、面白かったです。


 また、日光山内手前の大谷川に架かる神橋には、深沙大王が二匹の蛇を放って橋となしたという伝説があります。それで勝道上人が川を渡ることができたとか。

 明日はその日光に初詣に行く予定です。


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正月の富士山遠景 [季節の花]

実家に年賀の挨拶にいきました。穏やかな一日でしたが、夕陽が落ちると急に寒さが厳しく感じます。

今日は曇っていますが、昨日の夕やけ空には綺麗な富士山の姿を見ることができました。



暮れに実家の庭からもらってきたマンゲツロウバイと千両。

大きな花瓶にいけました。ロウバイが微かな香りを放っています。