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西国札所巡り第16番 清水寺へ [札所巡り]

札所巡りの旅3日目は8時に出発。

第31番長命寺へと向かいました。長命寺の階段は808段。前回友人と来た時は、階段を上ったのですが今回は、全員がタクシーに分乗して境内のすぐ下の所まで。タクシーを降りてさらに90段程上る。靄がかかって幽玄な趣だが、足元は濡れているので気をつけて上っていきました。  9時頃、もう降りてくる人もいました。

靄がかかっていなければ境内から琵琶湖がよく見えるはず・・。前にも来てるので建物も撮りませんでした。

タクシーで駐車場に戻って再びバス移動。32番観音正寺へ。ここも途中の観光案内所にバスを止めタクシーで細い道を上っていきました。

ここは山門がなく大きな仁王像が寺を守っています。境内からは広々とした蒲生野が見渡せる。  ↓ お勤めを終わって

本堂は平成5年に火災で焼失し、平成16年に落慶、像高6.3mの白檀で刻まれた千手千眼観世音菩薩座像が祀られています。

( ↓ パンフレットから写させてもらった)

~~~~~~(ここからは前回訪問時の記事の再掲です)~~~~

◎平成22年8月4日(水) (晴)東京8:33発ひかり505号京都11:15着。 ホテルに荷物を預け、

  琵琶湖線 京都発12:00(快速)で能登川へ。駅からタクシーで約15分で観音正寺に到着。

 32番 繖山 観音正寺 千手千眼観世音菩薩  草創は、推古天皇13年(605年)。 聖徳太子が近江を訪れた際に人魚が葦原から現れ前世に殺傷を生業としたことを懺悔し、供養を願った。願いに応じて太子が千手観音を祀ったのが草創とされる。

中世には近江の守護佐々木・六角氏の庇護を受けて隆盛した。明治に彦根城欅御殿を移したという旧本堂は平成5年本尊千手観音もろとも焼失し、現在の本堂は、平成16年に落慶したもの。千手を刻んだ光背を付けた本尊千手千眼観世音菩薩坐像も16年に開眼された。インド産白檀23トンが使われている寄木造り。 光背に彫られた千手のレプリカに顔を近づけると白檀のいい香りがしました。散華を手に観音様にふれてきました。

仁王像、ここから入る。

 IMG_0363仁王像.jpg

 現在、近江八幡市となっているが、ここの境内からは、眼下に東近江の田園が広がり、古は蒲生野と呼ばれたところ、額田王と大海人皇子の歌の舞台となったところです。遠くには、近江富士と呼ばれる美しい形の三上山があり、低い山にかこまれた遠くまで続く緑の風景のなかに古の景色を想像して感激しました。

   ○天智天皇が蒲生野で狩をなさった時に、額田王が作った歌(額田王)

      「あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」 

  ○皇太子の答えの御歌(大海人皇子)

      「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも」

本堂内からのぞんだ蒲生野の風景。右の山が近江富士。その左の平らな山が鏡山。少し手前に柴田勝家の籠城した山。蒲生野を近江富士の方に向かって新幹線の高架が見える。説明をきいているちょうどその時新幹線がとおりぬけて行きました。ここからはみえないが、新幹線に沿うように旧中山道が通っているそうです。

現在の蒲生野の風景

IMG_0369蒲生野全景.jpg

IMG_0364新幹線.jpg

 仁王像のあたりからは、遠くに琵琶湖が光って見えました。

IMG_0375琵琶湖です.jpg

 観音正寺.jpg

 この後 31番 姨綺耶山 長命寺 千手十一面聖観世音菩薩 へ向かいました。

タクシーでの移動ですが、近江富士はどこからでも美しい姿を見せてくれます。これは、西の湖。

昔琵琶湖を干拓した後、残った湖で川で琵琶湖につながっているようです。

IMG_0386西の湖.jpg

  長命寺へは、曲がりくねった山道を行く方法と、急な階段を上る方法とがあります。808段あるそうです。どちらも大変きつい。14:40着。

境内からは琵琶湖が望めます。時折さわやかな風が吹き上げてきました。

IMG_0388長命寺階段.jpg

三重塔とソテツの花

IMG_0393三重の塔.jpg 

IMG_0389長命寺.jpg

 長命寺.jpg

 帰りは、石段を下りてきました。自然石を並べただけの手すりのない急な階段。

カーン、カーンと澄んだ音が頭上に響き、足を止めて周りを見回すと、高い竹の幹と幹がぶつかりあう音でした。

やっと道路に出ることができ、バスの時刻を確認してから、売店でかき氷をいただきました。同行者はうどんをおいしいと言いながら食べていました。

15:53発の市民バス「あかこんバス」にのせてもらいました。

バス停の前は琵琶湖。ウィンドサーフィンをしている人がいました。

IMG_0395港.jpg

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次は本日の最終目的地の清水寺へと向かいます。

西国札所16番 音和山清水寺  宗派;北法相宗 本尊;十一面千手千眼観世音菩薩

朱色の山門と三重の塔が美しかった。

本堂に上ってお勤め。一瞬舞台の上のざわめきが消えたような気がしました。

若葉のみどりが目にしみました。


清水寺はとにかく人が多かった。着物で歩くというツアーがあるのか、外国人男女の着物姿がやたらと多い。が、なんかおかしい。(キモノダケレドキモノデハナイ)。これが日本と思ってもらってはイヤだなという感じがしないでもなかったです。

これで三日目は終了。京都縦貫道を通って、湯の花温泉のホテルへ向かいました。今回の旅は三泊とも温泉。出かける前は一泊くらいは京都市中のホテルでも良いかもと思ってましたが、清水寺の外国人の多さをみてこちらの温泉で良かったと思いました。

そして、この夜、熊本の地震のニュースが流れ大変驚き心配しながら床に着きました。


西国札所巡り 第11番醍醐寺へ [札所巡り]

西国札所 第11 番醍醐寺

   宗派;真言宗醍醐派総本山  本尊;准胝観世音菩薩 

受付を入るとすぐ目についたのが豪華意匠の門。


国宝の五重の塔の横を通って本堂へと向かいます。 


本堂    

本堂に到着しました。醍醐寺の僧侶による読経が続いており、しばらく待ちましたが終わりそうになく、後からやってきた別の巡礼団体の方達も待っていました。般若心経と御詠歌のみお唱えすることになりました。静かに般若心経を唱えながら僧侶の読経と私たちのとが全く違和感なく唱和していると感じました。御詠歌も終わって外に出ようと向きを変えた時、後ろで待っていた白衣姿の人から深々とおじぎしながらありがとうございましたと言われました。ありがたいことでした。

今回の巡礼最初の宝厳寺の観音堂ではローソクを上げようとしていた他の参詣者に少し迷惑をかけてしまったのを、夜の食事の時、住職からさりげなく注意を受けました。良い法楽を行って良い法悦を得られるような、周囲の方にも法悦をお分けできるような良い巡礼にしましょうと言われたことを思いだしました。

帰りに薬師堂にも参詣してからバスに戻りました。

その後、番外元慶寺へと向かいましたが、道が狭いのでバスをおりて小雨の中をしばらく歩くことになりました。

番外の元慶寺 ↓ 境内から山門の方を向いて。雨に洗われて緑が清々しい。

これで2日目は終了、雄琴温泉の旅館「びわこ緑水亭」へ戻りました。


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西国札所  第10 番 三室戸寺へ [札所巡り]

三井寺を後にして西国札所13番 石山寺へ ↓ 大門


石山寺は、その名のとおり全山が一塊の岩・硅灰石(天然記念物)で、秘仏である御本尊は自然の岩盤そのものをを削り整えた台座の上に安置されているそうです。

境内に入ると岩が目に入り、その上の方遠くに鎌倉期の美しい多宝塔が望めます。

お勤めを終えるとすぐバスに向かうことになったので上の方まで行けなかった。団体での行動は自由な時間が場合によって少ないのが難です。

(前回友人と二人で行った時の記録があるので次にそれを引用)

平成22年8月4日からの西国札所巡りの旅の二日目です。

第30番竹生島宝厳寺に行くため、京都駅発8:22の快速(湖西線で)近江今津に向かいました。ところが、琵琶湖汽船今津港に行ってみると波が高く欠航で、竹生島には行けません。仕方ないことなので、近くの「琵琶湖周航の歌資料館」を見てから、戻ることにしました。

近江今津 9:57発 山科で新快速に乗り換え、石山に11:16着

石山駅から京阪バス11:25発約5分ほどで石山寺山門前に着きました。

◎ 第13番 石光山 石山寺 如意輪観世音菩薩 

 石山寺は、天平19年(747年)聖武天皇の勅願により良辨僧正が開創したと伝えられ、本尊は秘仏。京に近い観音霊場として、天皇、貴族、庶民ら多くの参詣者を集めた、いわゆる石山詣で有名なところです。

 本堂(国宝)は平安中期再建の内陣と慶長7年(1602年)淀殿の寄進で増築された舞台作りの外陣からなります。

IMG_0399石山寺.jpg

 寺には石山寺縁起絵巻(重文)が伝わり、石山寺の創建や観音霊験譚の数々、紫式部が参籠して源氏物語を起筆したことなどが描かれていることで本堂源氏の間(花頭窓のところ)に執筆当時を再現しています。

 本堂内陣にはお前立の如意輪観世音菩薩。向かって左の奥に弘法大師作の不動明王がまつられてます。

  石山寺.jpg

この後、京阪石山寺13:13発の電車で、三井寺に行きました。

◎第14番 長等山 園城寺(三井寺) 如意輪観世音菩薩

創建は飛鳥時代。三井寺は通称。 これは仁王門。

IMG_園城寺.jpg

 本堂    御本尊は秘仏、

IMG_0402三井寺本堂.jpg

 近江八景のひとつ、三井の晩鐘・鐘楼

IMG_0401鐘.jpg

 高台にある観音堂。眺望がすばらしい。

IMG_0405観音堂.jpg

 観音堂の前から眺めた琵琶湖。ヨットがたくさん浮かんでいました。

IMG_0403琵琶湖ヨット.jpg

さて、また今回の旅に戻ります。石山寺を後にして西国12番札所岩間山正法寺(通称 岩間寺)へ向かいました。 宗派;真言宗醍醐派  本尊;千手観世音菩薩  

桂の大木や、芭蕉が参詣した折に「古池や蛙飛びこむ水の音」の句を着想したといわれる池がある。このお寺へ行くには公共交通機関(バス)利用だと徒歩50分、ただし、毎月17日のみJR石山駅から直通のバスがでているようです。

バスで山道を上る途中にピンクのツツジ(ヤシオ?)の花がたくさん咲いていた。


次に向かったのは、西国札所十番明星山三室戸寺。宗派;本山修験宗  本尊;千手観世音菩薩

朱色の山門をくぐっていく ↓  トキワマンサクがきれいだった。前回来たときはツツジが満開の時だった。五千坪という広大な庭園は季節ごとにシャクナゲ、あじさい、蓮など見ごたえがあります。

本堂前に整列し、いつものように法螺貝、読経、御詠歌でお勤めをしました。


阿弥陀堂の後ろの方には白い石楠花が綺麗でした。

鐘楼と三重塔 ↓



この後、宇治市内に戻り、宇治橋の近くのレストランで昼食。少し時間があったので草団子を買って食べました(おやつ)。

次は醍醐寺へいきます。


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西国札所巡り 第14番園城寺(三井寺) [札所巡り]

西国札所第14番 長良山園城寺 本尊;如意輪観世音菩薩  

多気山巡礼会の西国33ケ所巡礼の旅2日目は8時にホテル出発、30分ほどで第14番園城寺(通称三井寺)に到着しました。堂々たる仁王門をくぐって、


その先石段を上がって行きます。




参詣者は私達だけ。靴を脱いでお堂に上がりお詣りしてきました。
ここは2回目です。H22年8月に来た時茶店で頂いた冷やしあめが美味しかったこと思い出しました。

今回の旅で御朱印帳に重ね判をもらうことを初めて経験しました(同じ札所巡りの御朱印帳を2冊は持たない)。


御朱印はスタンプではありません。心をこめて納経した証としていただいたものであるから大切にして、最後はたとえば大切な人を送る時に(或いは自分の)柩に入れるものと教わりました。
そうすると観音様がすぐに来てくださる!!

帰りは国宝の金堂(本堂)を左手に見ながら駐車場へ。

園城寺といえば、「三井の晩鐘」。土産物店で買ったと小さい鐘を杖に付けて歩いていた人がいていい音がする。その土産に気づかなかったのが残念でした。


次は13番石山寺へと向かいます。


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西国札所巡り 第30番竹生島宝厳寺 [札所巡り]

4月12日から3泊4日で西国33ケ所巡礼の旅にでました。今回が最終回。

東京8:33発ひかりで米原へ。米原駅からは借り上げバスで長浜市内へ向かい昼食。郷土料理の焼き鯖ソーメンがとてもおいしかった。食後に旧北国街道沿いを散策。

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バスに乗り、長浜港へ向かい船で竹生島へ渡ります。以前に来たときは波が荒れて欠航となり、竹生島へ渡ることが出来なかったので今回は楽しみにしていました。約30分のクルージングの後、竹生島へ到着。

国宝の唐門は工事中のようでした。少々狭く薄暗い観音堂の中でお勤めです。法螺貝にはじまって~読経~御詠歌~法螺貝で終了。

お勤めの後は船の時間まで自由行動。急な階段を上がって本堂(弁天堂)へ。堂々とした朱色の建物が美しい。

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お天気がよく、桜もまだ残っていて、三重の塔前からみる琵琶湖の景色は素晴らしかったです。

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観音堂から舟廊下を通りぬけて都久夫須麻神社へいってみました。湖に面する鳥居に向かい投げたたくさんの瓦が重なりおちていた。

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初日はここだけ。琵琶湖を見ながら雄琴温泉の旅館へと向かいました。


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桜町陣屋跡 [真岡市]

高田山専修寺に行く途中、二宮尊徳が26年間在陣した桜町陣屋跡を訪ねました。

↓  隣の二宮尊徳資料館でもらった資料から

二宮金次郎(尊徳)は小田原に生れ、小田原藩家老家の財政復興を成功させた手腕をかわれ、小田原藩大久保家の分家である宇津家の知行地の桜町陣屋に家族とともに移転してきました(1823)。

陣屋内には役所の建物のほかに倉庫や牢屋、役人の家族の住居があったといわれているが、このうち、役所の建物一棟が現在まで残っています。

宇津家が分家した1698年(元禄11)当初の桜町領は石高4000石余(収納米3000俵)戸数は433軒だったといわれているが、金次郎が赴任した時には収納米900俵余、戸数は156軒まで減少し、田畑も荒れ果てていた。金次郎は領内の事情を把握するため毎日領内を隅々まで見て回り、村人の生産意欲を高めるため表彰制度を取り入れたり(農業に熱心な者に鍬や鎌を与えるなど)、無利息の貸付制度を設けたりした。金次郎が復興をはじめてから10年目の1831年(天保2)桜町領の年貢米は1894俵に達することとなった。

1833年(天保4)のこと、宇都宮で茄子を食べた金次郎は初夏だというのに秋茄子の味がすることに驚き、田畑の様子を見て飢饉が起こると予想し、村民に冷害に強いヒエやイモ類を大量に作らせこれに備えました。東北、関東地方を中心に死者10万人以上を出した天保の大飢饉がはじまりますが、桜町からは死者が一人もでませんでした。

桜町領の復興に成功した金次郎は1842年(天保13)幕府に取りたてられ、士分を与えられ、この頃から尊徳と用いるようになりました。


すぐ隣に二宮尊徳資料館と、尊徳を祀った桜町二宮神社があります。



(4月3日) 桜が満開でした。




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高田山専修寺 一光三尊仏御開扉 [神社仏閣]

木県真岡市(旧二宮町)の高田山専修寺(せんじゅじ)に行きました。


目的は、3日間だけ開扉される秘仏の一光三尊仏の拝観。

真宗の祖、親鸞は42歳頃から約20年間関東各地を行脚して専修念仏を広めました。高田に来たのは53歳の時で、ここに長野の善光寺から一光三尊仏を迎え本尊としたのが専修寺です。


↓ 総門の前の大ケヤキ。樹齢800年親鸞上人お手植えといわれる、県の天然記念物

↓ 総門。通常は閉じられている。

専修寺の境内は国指定史跡になっているが親鸞上人建立当時のものは総門だけ。


 

↓ 山門と奥の建物は本堂である如来堂。 総門、山門、本堂が一直線上にある。


↓ 如来堂’本堂)  親鸞が嘉禄2年に自ら建立したとされている。現在のお堂は1744年再建で屋根は銅板棟に菊の御紋がつけられている。


↓ 御影堂  親鸞上人像を安置。今回はこちらで一光三尊仏が公開された。

↓  御影堂からみた鐘楼堂



この左手の方には5間四方寄棟造りの涅槃堂があり、木造金箔塗り3mの大きな涅槃像がある。

専修寺の東方2㌔にある、草庵跡にも寄ってきました。
↓ 専修寺の建設中に親鸞上人が仮住居としていた三谷(みや)草庵。

林に囲まれてすがすがしい佇まいでした。