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自転車 [旅行、趣味]

自転車の後輪がペチャンコになっていた。空気を入れてもシューっと抜けてしまう。

「旅爺さん」のように器用でないから自転車屋さんにもっていった。リムテープが切れてぼろぼろになっていた。別のゴムテープを出してリムにはりつけて、その後空気を入れたチューブを水にくぐらせると・・

○タイヤ.jpg

細かい泡がぶくぶくと出た。パンクもしていた。リムテープがぼろぼろだとスポークが当たってチューブに穴があくことがあるよと言われる。

○タイヤ (2).jpg

おじいさんの自転車屋さんが、昔と変わらないやり方で修理してくれているのをそばで見ていた。こういうのんびりした時間もいいものだと思った。修理代1,000円也。もう10年以上乗っているけれど手入れしながら乗ればまだまだ安心して乗れる、ありがとうございました。


干し柿作りに挑戦 [季節の花]

友人から渋柿を貰いましたので、干し柿を作ろうと思います。
次郎柿。


雹害を受け傷ついてしまったので道の駅に出せないそうですが自家用には差し支えありません。
皮は漬け物用に欲しいといっている友人にあげることとし、



むいてから紐で縛り、熱湯にくぐらせました。皮も一緒にベランダに干して出来上がりを待ちます。

初めて作る干し柿。うまく出来れば良いけど・・。

いま、嵯峨菊が咲いています。


木下大サーカスを見に行きました [日記]

昨日、世界三大サーカスのひとつ木下大サーカスの公演を見てきました。

1時からの公演、指定席は取ってあるが駐車場が心配なので12時頃を目当てに行くとすでに行列。




テント内は当然ながら撮影禁止。


あっという間の2時間。球体の中をオートバイ3台が同時に走るのや最後の空中ブランコショー等ハラハラするのも良かったけれど、一番楽しかったのは動物の芸。シマウマが可愛かったし、キリンの目が優しかった。ホワイトライオンと牡ライオン8頭は迫力ありました。

最も素晴らしいと思ったのは坂綱という和の芸。空中ショーの様な派手さはないけれど和風の衣装で和傘でバランスを取りながら斜めに張り渡された綱をのぼっていく、しかも後ろ向きになってのぼるのは感動する。20年ぶりに復活された伝統芸とか?これは最高でした。


木下大サーカスは創立113年といい、56年ぶりの宇都宮公園だそうで、母が昔見たようなサーカスを見たいと一番楽しみ見にしていた。私も子どもの頃の思い出にあるのと同じ様な懐かしいサーカスを堪能しました。

像が記念写真の仕事を終えて帰っていくところ  ↓


会場のある清原工業団地は深まりゆく秋の風情でした。






コスモス(鬼怒川グリーンパーク) [季節の花]

鬼怒川グリーンパークのコスモスが見頃でした。









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氏家勝山城跡 [旅行、趣味]

さくら市ミュージアムを訪ねました。(荒井寛方記念館で「春の院展 栃木展」が開催されている)。

隣接の勝山城跡を歩いてみました。


大手入口 ↓

勝山城は、鬼怒川の段丘面を天然の要塞にした崖端城で、鎌倉末期頃に築かれてその後。強固な防備が完成し、中世下野における宇都宮氏一族の北方防衛の拠点となった。慶長2年に豊臣秀吉の命による宇都宮氏の改易に伴い廃城となった。


二の丸北郭 ↓


鬼怒川 ↓  中央の山は羽黒山。快晴なら左に日光連山、右の方に那須連山が見渡せるが。


鬼怒川を見下ろす本丸西側の空掘  ↓

 『勝山城は鬼怒川を見下ろす崖端城(断崖を利用して築かれた城)として鎌倉時代末頃に氏家氏によって築かれ、その後慶長2年(1597)の廃城までおよそ300年の歴史をもっています。現在の塩谷町から芳賀町まで広がる氏家郡24郷支配の拠点ですが、また宇都宮氏の配下として北辺を守る役割も果たす重要な場所でした。南北朝期から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となっています。その間に改修が行われ、城の各所に堅固な設備が見られます。

現在確認されている城域は、南北450m、東西は北辺で325mあり、段丘先端部の本丸を、L字型に二の丸、三の丸が囲む連郭式の縄張り(城の設計をいう)が想定されます。

本丸は、内径で東西80m、南北70mの方形で一周する土塁は本丸内の高さ3~5m、掘底からは7~8mあります。本丸東側の一団広い土塁部分が大手(正面入口)で、掘内に四脚の橋が架けられていました。大手北側の櫓台が張り出し、横矢掛け(侵入する際に横から矢を射る施設)の構造を備えています。南西部の搦め手(裏側入口、通用口)は土塁の折を利用した横矢掛けの施設と橋があります。・・・・』    ↓ 案内書き



二の丸北側の土塁跡をおりていくと鬼怒川岸に下りていける橋があり、釣りやウオーキング等をしている人の姿がありました。


敷地内、ミュージアムのすぐ横に大きな不動明王坐像の展示室がありました。

『栃木県指定文化財 木造 不動明王坐像 1968(昭和43)年3月12日指定 さくら市蔵

1759(宝暦9年)  380×296×275

現存する木造坐像の中で関東最大級の大きさを誇るこの像は装身具の文様等から、光明寺の不動明王を鋳造する時に使った鋳型であることがわかります。一般的に鋳造後は廃棄されてしまう鋳型を現在まで保存・継承しているのは、鋳造史を考える上でも大変貴重です。

また、壊すことを前提としていたため、廃材などを組み合わせて巧みに製作されているのが特徴です。それをしめすように、仏像内の支柱からは使用されていない臍穴も見つかりました。平成12年の大修理の時には、木と木の継ぎ目から墨書も発見されています。この墨書から大きな鋳型を多様な木材で作りあげたことへの難しさが垣間見られます。

さらに、頭部、胸部、腹前、前膊部、膝前、腕の各部分を分離出来るのは、分鋳というパーツ毎に鋳造を行うためのものと推測されています。』

ガラス室内の木造不動明王坐像 大きい。


帰りに鬼怒川グリーンパークでコスモスを見て来ました。


今日はおでんを [手づくり]

おでんが美味しい季節になりました。今日の夕食はおでんです。


大根、人参、ジャガイモなどの根菜は電子レンジ利用で柔らかくしておき、おでん汁に竹輪やがんも等も入れて~じゃがいもは煮くずれし易いので最後にいれる~15分くらい煮て火から下ろし、鍋を新聞紙で包み



それを布団で包んで置けば美味しいおでんが出来上がり。昼食後の手の空いた時に作っておき、夕食には熱々のよく味のしみ込んだ美味しいおでんをいただきました。


鍋を包んでいる布団はカーテン生地の端切れを使い、薄く綿を入れて作ったもの。調理時間の短縮と端切れの有効活用、それにこれなら部屋の隅に置いても違和感ないし友達にもすすめています。



夕焼けはもうすっかり秋の空です。




施餓鬼会に参列して [神社仏閣]

宇都宮市今泉町の臨済宗妙心寺派寺院~河北禅林 神護山興禅寺での施餓鬼会に参列しました。



法要は2時から。実家の方で参列する予定ですが、御住職のお話も聴きたいと思い出かけてみました。少し早く着いたので、普段は近くで拝観出来ないから御本尊の直ぐ前にいってお詣りして、位牌が並べ置かれた室内に入って家の位牌にも対面してから静かに待ちました。

興禅寺の御本尊は、木造釈迦如来座像。門前の案内書に~像高は約90㎝、木造寄木造で玉眼。目をやや細め、わずかに首を前に傾けている。南北朝時代の作であるが彫りが深く鋭い等鎌倉彫刻のよさを残している。仏像の底面に北朝の年号「文和二年(1353)」と作者名「院吉、院広、院遵」が刻まれている。~とあります。

1時20分から御住職の法話。施餓鬼会の意味を聞いて、それから、毎日の生活で良いことも悪いことも順番に巡ってくるものであるがあまり良いとか悪いとかこだわらないで、あの世に帰っていく時まで一生懸命に生きましょう。何かあったときはご先祖様が、あるいはおてんとう様が、ののさま~仏様~が見てくれていると思えば自ずから処し方がわかるのではというようなお話だったか。法要は1時間程で終わり、卒塔婆とお寺からのお供物をいただいてこれからお墓にいく兄達と別れ帰って来ました。実家の宗旨は臨済宗なのに最近巡礼会に参加して高野山や多気山等真言宗に浮気しているようでどちらにも申し訳が立たないような気持ちがあったのですが、久しぶりに家のお寺での法要に参列しほっとしました。

興禅寺は、宇都宮8代城主貞綱が宇都宮に初めて禅寺を開いたことから法名を興禅寺殿といいこれを寺名としている。9代公綱は楠木正成との戦い等で坂東武者の名をたかからしめ、その子の氏綱は戦の中で宇都宮氏を守ろうと戦ったが病で亡くなった。豊臣秀吉により宇都宮氏がとりつぶされた時、興禅寺も宇都宮ゆかりということで取り壊され、小さなお堂が一つ残っていただけであったのが、徳川の時代になり奥平氏の助力で復興し、後に江戸浄瑠璃坂の仇討ちの発端となった事件が起きた場所という歴史ももっているお寺です。