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田川の橋を歩いてみる⑤大錦橋 [宇都宮]

大錦橋は、長さ53.6m、幅10.2m  昭和35年完成の古い橋です。

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  ↑ 右岸には三日月型のチビッ子広場が整備され、地域の方の憩いの場ともなっているようです。

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その向かい側、左岸には染物工場の建物が見えます。006.JPG

わかりにくいですが橋は水色に塗られていて↑  かなり古い。

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中川染工場がこの橋を渡ってすぐ右側にあります。

お天気が良い日にはこんな風景も見られます。 ↓

http://tokutarou.blog.so-net.ne.jp/2012-04-17

こちらにかかっている大谷石塀もきれいです。

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手彫りの重厚さが伝わってきます。

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田川の橋を歩いてみる④大泉橋 [宇都宮]

大曽と今泉を結ぶ橋として昭和33年に架けられた大泉橋(たいせんばし)は長さ47.0m、幅14.5m。老朽化に伴い改修工事が行われ平成23年完成しました。

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焦茶色のちょうど大きな弥次郎兵衛のような感じのきれいな橋です。

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右岸(西側)のたもと、竹の林に囲まれてある大谷石造りの建物はレストラン「石の蔵」です。

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営業時間中は、いつも駐車場はいっぱいです。

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ランチは11~14:00  ディナー17:30~22:30  カフェ14:00~17:30 以前入ったことがありますが自然素材を使用した落ち着いた空間が印象に残っています。

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橋の上流から見た所。中央の塔は中河原のN〇〇。

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「石の蔵」の反対方面(東側)に直進すると奥州街道(通称白沢街道)につきあたり、そこが八坂神社です。


田川の橋を歩いてみる③ 東橋  [宇都宮]

東橋は長さ71.1m、幅17.5m。昭和45年(1970)完成。

県庁前通りにかかるこの橋は川の中央に中洲がありここに柱脚が設置され橋が二つに分かれてみえたそうです。

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東橋の南側右岸(西)に仙浪水天宮があります。向こうに見える建物です。

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水天宮は以前に紹介したことがありますので ↓ こちらを。

http://tokutarou.blog.so-net.ne.jp/2012-02-03

また、橋の東方面には、興禅寺があります。前記事の幸橋の近くに興禅寺大門跡の碑がありますが、盛時には塔頭11を数える大きな寺だったことがわかります。

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江戸の三大仇討「浄瑠璃坂の仇討」の発端となった場所であり、また、先々代の住職が若山牧水の弟子(石川暮人)であったことから牧水の歌碑が建ててあります『かんがへてのみはじめたる一合の二合のさけの夏のゆふぐれ 牧水』。この歌碑を建てた先代住職石川元海和尚は先日ご逝去されました。 

興禅寺 →  http://tokutarou.blog.so-net.ne.jp/2010-08-24

東橋の上流300m左岸で御用川が合流しています。 ↓

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御用川は、(旧上河内町)今里地内、西鬼怒川から引き入れた人工の川で、元和6年(1620)宇都宮城主本田正純が築城の資材運送やその他城内で入用の諸貨物を運搬するために使用されたことから御用川といわれます。


田川の橋を歩いてみる② 幸橋  [宇都宮]

上河原通りにかかる「幸橋」は、江戸時代初期に架けられたれ歴史ある橋です。明治14年、明治天皇の御巡行を記念して上河原橋から幸橋へと名前が変わりました。

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長さ45.4m、幅24.2m。 昭和48年(1973)完成。

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「さいわいばし」から宮の橋方面をみたところ。

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 橋の中ほどにある道路標識。上河原通りを通行止めにして、毎年1月11日に初市が開催されます。

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『初市風景 : 宇都宮市場は、古くから上河原にありました。江戸時代、奥州大名の参勤交代の通行に支障があるとして寛永11年(1635)より年1回の初市に限ってこの地で催すことになり現在に至っています。』

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『川涼み風景 ; 田川のこの付近は、江戸時代の名所、六河原の一つ「上河原」に位置し、蛍の名所でした。昭和の初期までは。貸し船を使ってのんびりと夏の夜の川涼みを楽しむことができました。』

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『梵天祭 ; 田川は、古来から洪水により数多くの水害が発生しました。昭和30年ごろまでは、夏になると水神様に対する信仰と感謝から、人々が梵天をかつぎ裸で川に入り、もみ渡る光景が見られました。』

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『幸橋遠景 ; 幸橋は、江戸時代初期(1661年)に架けられ、田川筋でも旭橋(押切橋)に次ぎ歴史のある橋です。明治14年(1881年)明治天皇御巡幸の際、上河原橋を御渡歩後に幸橋と改称されました。』

橋の東側、少し入った所にに「興禅寺大門跡」の碑があります。

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さらに東の方上河原通りの奥州街道のつきあたりに大谷石造りの旧篠原邸。国指定重要文化財で江戸~明治時代の石蔵建物です。

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幸橋を西側に渡り数m先に小さな鳥居がみえます。鳥居の前の石柱に樋爪氏の墓とあります。

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『宇都宮市指定の有形文化財(昭和33年7月21日指定); ここ三峰山神社の中の二つの五輪塔は文治5年(1189年)源頼朝が奥州の藤原氏一族を攻めた時、祈願成就のお礼の生贄として二荒山神社に献納された、桶爪俊衡と弟との季衡の墓と伝えられている。云々・・・』とある。

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次は東橋へと向かいます。

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田川の右岸に見えるこの水門は昭和58年完成の下水道。この以前、市の中心部を流れる釜川は流域の急激な都市化により集中豪雨や台風の度に氾濫し大きな被害をもたらしてきた。これを解消するために二つの大改修工事が行われました。

その一つは全国初の川床を二層構造として水量を調節する(釜川の西田橋~今小路橋の約1.9㎞)。

もう一つが地下に水路を埋設して田川へと注ぐ工事です。競輪場通りと県庁前通りに沿って地下に巨大な水路が埋設されています。025バイパス説明板.JPG


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田川の橋を歩いてみる① 宮の橋 [宇都宮]

JR宇都宮駅のそばを流れる田川。日光市内標高500m程度の源流部から続く今市扇状地から形成される上流域、沖積低地で平坦な地形で宇都宮市街地が広がる中流域、広大な水田地帯の下流域からなりやがて鬼怒川に合流する約78㎞の川。宇都宮市街地には14の橋がかかっているそうなので運動がてら橋を順番に歩いてみることにしました。

はじめはやはり駅正面大通りの「宮の橋」から。

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「宮の橋」は宇都宮駅前にかかる田川を代表する橋。東北本線宇都宮駅が開業して翌年の明治19年に本格的木橋となった。幅42mは田川の橋の中で最大。長さ50.1m。幅」42.0m。平成7年(1995)完成。

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 ↑  宇都宮駅方面を見たところ。  ↓  

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駅を背にして橋を渡るとすぐ天台宗の「宝蔵寺」があります。楼上に梵鐘。「およりの鐘」といいます。

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江戸時代は夕方6時頃になると町の出入口は木戸が閉められ通行が出来なくなった。旅人はこの鐘の音を聞いて足を速め、城下の民も静かに一日を終えたといわれている。元々は宇都宮氏8代の貞綱公が父母の墓のある東勝寺(廃寺)に寄進したとされている。明治時代に招魂社に置かれた時期もあったので「招魂社の鐘」とも言われる。招魂社は現在護国神社となって市内西の方にあります。

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上流に向かって歩き、次の「幸橋」へと向かいます。


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